神韵晚会 http://shenyun.us

GoodSearch: You Search...We Give!
トップページ > 映画評論
> 欧米映画評論 >

『雨に唄えば』と『アバター』      
作者:紫安

これは「国宝級」映画の一つと言われ、アメリカ大学生の映画史履修科目で、必ずと言って良いほど鑑賞する作品で、これはおなじみの映画『雨に唄えば』である。

その昔映画は雄大なスケールを背景に、一人の司会が熱意を込め、映画ファンの熱烈の歓声をあびる中で、あるムービスターを紹介するシーンから始まる作品だった。ドン・ロックウッド(Lockwood)とリナ・ラモント(Lamont)もサイレント映画全盛の時代、ドル箱の映画スターであり、大スター同士のカップルともてはやされていた。トーキーブームが沸き起こるにつれ、リナ・ラモントは苦しい境地に陥ってしまう、美しい顔立ちと豊満なプロポーションの持ち主だが、話声はキーキーしたうるさい猫の金切り鳴き声のようなリナはトーキーの映画で縁遠い無様な事となっていったため、女優キャシー(Kathy)はドンの推薦で制作チームに加わり、リナの声優となった。仕事を共にしていくうちに、ドンはキャシーと恋に落ちていく。映画大スターの座に溺れた独りよがりのリナは、最終的に観衆と同僚に見放されて、映画界から去った。キャシーはプロデューサーの手助けの下に、バックステージから表舞台に上がり人気映画スターとなり、最後にドンと結ばれた。

この1952年のアメリカメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社が製作したミュージカル映画は、何人もの登場人物が入り混じった物語を通して、緻密に描き、生き生きと観客の目の前で映画史上もっとも重要な一ページを繰り広げた。「映画が発声した」、この突然にやってきた、現代ではこれほど当たり前な物は、ないくらいの技術は、当時の映画界にとっては大きな不意打ちのようなものだった、当時の映画スター及び映画製作所に極めて大きな恐慌を引き起こした、けれど、観客に斬新な聴覚効果を与え、それと同時に、新興の人材が発掘でき、才能を発揮できるもっと大きな天地を作り上げた。
世界の映画作家チャップリン(Chaplin)でさえこの衝撃から逃れることはなかった。トーキーが発明されて以来、彼はすっと抵抗し続け、サイレントに固執していた。1931年に『街の灯』と『モダン・タイムス』サイレント映画の二大古典作品を制作した。しかし、時代の流れは押しとどめることが出来ず、取り残されても、雌伏に甘んじないチャップリンは、完全なトーキーに踏みきった。1940年の『独裁者』(Great Director)はチャップリンの早期トーキーの代表作のひとつ。しかし、彼の無声で滑稽なイメージがもう深く人々の心に刻み、たとえ映画技術の発達している今日に至っても、消してあの観客に無限の笑いを与えた喜劇王チャップリンのことを忘れることが出来ないだろう。彼の作品の特にコメディ映画は今日まで依然として映画界のオーソリティとみなされ、重視されていて、それゆえに、かれの名前とそのキャラクタ―も世界の隅々まで広がっている。
歴史はなんと似ているでしょう。3D映画『アバター』(Avatar)の出現は同じく現在の今伝統映画に大きな衝撃を与えた。斬新な視覚効果が世界中の観客を魅了した興行成績が上昇し続け、鑑賞し終え、映画館から出て来て観客は「もう二度と2Dの映画は見たくない」とコメントし、ある映画関係者らは「3D映画こそ将来の発展方向」だと断言した。このような激しい衝撃に直面して、長い歴史を経て歩んできた人々はますます冷静かつ円熟になり、多くの人は、将来、技術を体感するために見る映画が左右されることはない、映画に描かれた内容が最も重視される部分だと考えているように、技術は物語のサポート役、極端に否定、抵抗、或いは賞揚、追いかける必要はない。映画関係者として、どのような技術を駆使すればもっと鮮明に作品の主旨を表現できることをあらゆる方法で考えれば、観客に誇れる傑作を作り上げることが出来るだろう。
神洲映画製作所 http://www.shenzhoufilm.com/sz/jp/2010/02/16/a100160.html 2010-2-16 20:48

感想発表






* 書き込まれた内容は投稿者個人の感想であり、神洲サイトの意見を代表するものではありません。